日本の極道の任侠道!
私が20歳で、
現在の広域指定暴力団の極東会が、
極東関口一家、田中春雄会長だった頃に、
わたしは極東関口一家の創設者のお一人である、
先代の、謙遜で優しかった親分、岩田武の運転手をしていました。
秩父のお祭りの帰りに、酔っぱらってしまった親父(岩田武)が、急に、
「車を止めろ!」と言って、おしっこをする為に道を横断した時にバイクが突っ込んできました。
その時に、米山の兄貴がバイクに飛び込んで、
体を張ってバイクにぶつかって止めたので親父は無事でした。
バイクの運転手は真っ青になって膠着状態で誤っていた時に、
米山の兄貴は・・・、
「行け!」。「早く行け!」。と言ってバイクをそのまま返したのです。
後に米山の兄貴に、
「何ですぐに帰したんですか?」と尋ねると、
「それが岩田の親父の教えなんだよ。」
「俺達はなぁ〜、堅気には絶対に手を出してはいけないんだよ。」と、強く教えられました。
後に岩田の親父が亡くなって、
私は松本一家から吉松一家に吸収された時に、
理不尽な吉松かがみにパイプを投げつけて組織を脱会しました。
そして、松山会長に手紙を送って、
政治結社・神聖会を作り、
フリーで、露天商を続けている時に吉松からの脅しがありました。
その時に私を助けてくれたのが、
極東会の会長( 当時の極東・真誠会の会長 )、松山真一さんです。
松山会長は、「 大城は堅気になったんだから絶対に手を出すな。」と、
私が商売で廻っている場所の、露天商の親分衆のみんなに語っていたそうです。
その後、全くの偶然で、それと知らずに、
私は、国立で松山会長の前妻の運転手もしていました。
|
元暴走族で高慢だった私が、神のお告げによりクリスチャンになりました。
|
<< 次へ >>