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私はちょっと変わっている人なので、
みんから、「 変人 」 に見られていますが・・・・・。
多くの神学校では、
聖書を完全なものと教えていますが、
ここに書かれている完全なものとは、
2度目に再臨されるイエスの事で不完全なものはすたれます。
この世で聖書が廃れることはない。(ヨハネ10章35節)
神の国では聖書が不要になると言う意味です。
使徒言行録 3 章 10 節
彼らは、それが神殿に座って施しを乞うていた者だと気づき、
その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。 ( 新共同訳聖書 )
彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。 ( 口語訳聖書 )
この人の身に起こったことに驚き、あきれた。 ( 新改訳聖書 )
Tコリント 13 章 8 節 〜 13 節
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。(口語訳聖書)
完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。(新改訳聖書)
全きものが到来すると、部分的なものは廃されるのです。(新世界訳聖書)
完全なものが到来する時には、部分的なものは壊されるであろう。(新約聖書翻訳委員会訳聖書)
完全なもの(イエス)が来たときは、部分的なもの ( 預言。異言。知識。) は廃れよう。(新共同訳聖書)
11節
私が子供であったときには、子供として話し、・・・・
私が( 父に )完全に知られているのと同じように、
私も ( 父を ) 完全に知ることになります。
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8節
愛は決して不要になることがない。
神の御心について語ることも、
特別な言葉で語ることも、ある時期 ( キリストの再臨 ) までのことである。
( イエスが再臨したら、神を信じなさい。と言う人はいなくなる。)
( 神の国に入ったら伝道の必要はなくなり、聖書の )
知識もやがては不要になる。
9節
というのは、私たちの ( 聖書から得た ) 知識にしても、
私たちの語ることにしても、それは不完全なものに過ぎない。
10節
この世の終わりにすべてが完成する時、それに取って代えられてしまう。・・・・。
やがてこの世の終わりの時が来ると ・・・。( マタイ 24章 )
そして、いつまでも残るものは、
信仰と希望と愛の三つである。
この中で、
最も偉大なものは愛である。
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